大連に訪れた日本人に是非訪れて欲しい地区の二つ目は旧連鎖街です。ここは日本統治時代、日本人のための商店街だった地区で、未だに当時の建築物が残っています。場所は大連駅から南へ長江路を隔てた区画にあり、歩いて5分ほどの距離です。この地区は1929年に資材置き場だった大連駅前を開発しようと整備された一大商業地区があり、往年の大スター三船敏郎の実家建物も残っています。またサザンオールスターズの「流れる雲を追いかけて」はここを歌ったことで有名です。当時大連一の繁華街だったそうですが、今では見る影もありません。ここもいずれ再開発で消え去る運命にある場所です。大連に行ったら絶対に訪れたい場所です。
夕暮れの大連駅 この向かいに連鎖街はある
路面電車201路の大連停留所前に旧連鎖街入り口がある
嘗て銀座通りと呼ばれたこの通りは栄盛街と名を変えている
この旅館は中国人用 外国人は宿泊することは出来ない
当時の連鎖街(地図上が大連駅) ひとつ前の写真の旅館は丁度栄町通りと銀座通り交差点の入り口にある
「橋本商会」があった場所
現在の連鎖街(衛生写真) 右上の区画がビルになった以外はほぼ当時の街並みを残していることが分かる
ビル建設前の連鎖街(1999年) JTBが入っていた建物が取り壊されているのが分かる
銀座通りを直進する
ほぼ同一から撮影した戦前の写真(時期不明) 心斎橋通りと銀座通りの交差点
旧・森洋行ビル
旧・森洋行ビル向かい 銀座花店だった建物
裏通りはこの通り完全にシャッター街
心斎橋通りから西に 福野物産が入っていた建物
大連駅西側に建設中の高層ビル
じきに旧連鎖街も開発の波に飲まれるだろう
銀座通り心斎橋通りを北に見る
連鎖街裏通りは完全にシャッター街だがこの通りは活気がある
このピンクの建物の二階が三船敏郎の父がスター写真館を
経営していた建物 旧地図にもしっかり記載されている
今では旅館の部屋として使われているようだ
連鎖街から常盤通り(現中山通り)に出ると旧三越大連支店が
少し前までピンクの建物にされていたが元の色に戻された
青泥窪橋街(旧地図で広小路と記載)を通ると人だかりが・・・
路上で中国将棋対局をしていた 見物人も多数
講評 戦前の日本人が築いた商店街地区に立つ建築物は現存しており、目抜き通りでは現在も中国人の経営する商店と屋台が立ち並んでいました。しかし一歩裏通りに入ると、殆ど人の流れは無く、シャッター通りになっています。それどころか、人が住んでいる気配の全くない廃墟同然の建物も少なくありませんでした。現在大連は激しい再開発の波に晒されており、連鎖街もいつその波に飲まれてもおかしくありません。現実に旧地図でジャパンツーリストビューロウ(JTBの前身)が入っていた箇所にはすでに高層ビルが建っています。(JTBは戦前の日本の植民地のターミナル駅から一番近い一等地に事務所を構えて、内地からやってきた日本人を迎えるのが常だったそうです。)先人達が築いたこの街が地図から消え去るのも時間の問題なのでしょう。
参考 中国戦前絵葉書データベース ←愛知大学の国際中国学研究センターのサイトです。戦前の大連・旅順他中国大陸全般の写真が大量にあります。
サザンオールスターズの「流れる雲を追いかけて」は以下の
CDに収録されています↓
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